1976年、19歳の僕は、予備校生でした。
僕は、普通の三年生の高校ではなく、国立高専という五年制の学校に行っていました。 性に合わず、三年で退学して、大学に行くため予備校通いをしていました。
でも所詮、普通の高校生の様に受験のための勉強はしておらず、 予備校に通うより、一人で図書館に行って勉強をすることが多かったのです。
そんな僕の憩いの時は、図書館にある視聴覚室でお気に入りのレコードを聴く時でした。 そして良く聴いたのが、ジョン・レノンの「ロックンロール」とクイーンの「オペラ座の夜」でした。特に、ボヘミアン・ラプソディが大好きでした。
フレディ・マーキュリーを遠い存在
僕は、クイーンのメンバーでは、なんとっていもブライアン・メイのファンでした。
彼のギターワークと知的な雰囲気が好きでした。
それに比べ、フレディ・マーキュリーは、遠い存在の様に感じていました。
その人間離れしたボーカルのパフォーマンスには、神がかり的な印象を持っていました。
こんなことを言ったら怒られそうですが、ブライアン・メイのギターだったら、努力に努力を重ねれば弾けるようになれるかもしれないけど、フレディのボーカルは絶対無理と思うのです。 しかも同性愛者ということもあってより遠い存在に感じていました。
フレディ・マーキュリーを身近に感じた映画
映画「ボヘミアン・ラプソディ」がDVD、Blu-rayでの販売がスタートしました。
素晴らしいことです。
僕は、昨年の12月初めに映画館で観て、大きな感動を受けました。
観終わった後、いろんな友人にLINEで映画の素晴らしさを伝えました。
妻には、なんで一人で行くのよ、と怒られました。
僕に感化されてその後映画館に行った23歳の娘は、その後クイーンの音楽ばかり聴いています。 映画で一番感じたのは、フレディ・マーキュリーも同じ人間ということ。
悩み悲しみ、そして喜び、ずっと遠い存在に感じていたフレディが映画を観てから身近に感じました。
そして、19歳の時に悩みながら前に進んでいた自分を思い出しました。 ボヘミアン・ラプソディは、生きる勇気を与えてくれる映画です。